幸喜幸齢 生きがい日記
2025.8.9 26/34℃ 曇
学徒兵
今日は80回目の長崎原爆忌。
ここ数日、TVでは学徒兵特攻隊の話題と映像が何度も流れる。

ボクは街道歩き旅83日目で佐賀県鳥栖市の自衛隊基地付近を長崎へ向かって歩いていた。軍用車が何台も走り、練習機が次から次へと発着訓練を繰り返していた。中には模擬爆弾を積んだ大型機もあった。

途中、大刀洗陸軍飛行学校目達原教育隊の看板。その施設前で大きな石碑を見た。そこには「桜咲く基地を飛び立ち南海に、散りし若鷲の門柱」とあり、ここから若い学徒兵が知覧基地に移動し、片道の燃料と大型爆弾を抱え敵軍の軍艦に突っ込んで行ったのだが、大半はその前の砲弾、機銃掃射で海中に突っ込みさぞ無念であったことだろうと涙した。



今月の吹田市立平和祈念資料館での映画は「月光の夏」で、若き学徒兵の苦悩と決断を描いた映画であったが、その無念さはいかばかりであったか。これも涙なくしては見れなかった。


まして敗戦間近のおんぼろ飛行機は故障ばかりで出撃途中でエンジン不調などで隊列を離れ、島に不時着した学徒兵が何人もいたが、その生き残った若者たちのその後の差別と、苦悩は計り知れないものであった。

ちょうど平和祈念資料館では、現在「 きけわだつみのこえ 学徒出陣が遺したもの」 展が開かれており、出撃前の学徒兵らが綴った最後の手紙は残されている。見ていて涙がこぼれた。


ボクが生まれて80年。この間日本は戦争のない平和な日々であったと思う。今、世界はあちこちで戦争が起こり、各地で紛争が絶えない。いま世界情勢は末期的状況であると言わざるを得ない。

1人の発言は小さくともみんなで力を合わせて、日本のみならず世界の平和を力強く叫ばねばならない。日本の未来を信じ散って行った若き学徒兵の為にも。

